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内向的な人のためのスタンフォード流ピンポイント人脈術、竹下隆一郎


2019/07/16、内向的な人のためのスタンフォード流ピンポイント人脈術、竹下隆一郎、ディカヴァー・トゥエンティワン

ピンポイントしない・できない人間関係は捨ててよいとはっきり言っており、潔い。これに共感を覚える人、安堵する人が多々いるように思う。

もし加筆できるなら、こうした内向的な人を放っておけない攻撃的な人、嫉妬に駆られた人から、内向的な人はどうやってその身を守るかについて語って欲しい。これは内向的な人が見舞われる災難の大きなもののひとつだと思うので。 

人出だし話題に乗れず、またユニクロのY(やずっと後には幻冬舎編集者のMも)が出てくるし、そもそも7人も人を選べるような大組織に属していないよと鼻白んだことも事実。


「何に自分が最も情熱を傾けているかを書くように」というアドバイスを教授からうけました。p.115

多くの人の悩みには「ホワイトハウスの悩み」と、「カフェの悩み」の2種しかない、というのです。p.122

 何度か申し上げている通り、私は友人が少ないほうです。ただ、大切な友人とはできるだけ丁寧にピンポイントでつき合っています。
 しかし、親しくなればなるほど、お互いのことを「知りすぎている」と勘違いしてしまって、惰性で会話が進んでしまうときもあります。
 そんなときに勇気を出して「コーチをやってくれませんか」と頼んでみると、いつもと違う会話をすることができます。
 もちろん毎週やってしまうと、お金も時間ももったいないですが、たまにはピンポイント人脈の中の誰かにお金を払ったり、ちょっとした食事をご馳走したりして、30分だけ「悩みを聞いてもらう」のも悪くないと思います。pp.125-

「具体的なことは、多様性を損なう」「抽象的な話題の方が、話があいまいになり、たくさんの人が話題に参加できる」//抽象的な話は「解釈の自由度が高い」という議論を(『具体と抽象』細谷功では)展開しています。pp.131-

 シリコンバレーなどの「西海岸」の人たちは、Tシャツに短パン姿。-盗んだバイクで走り出して窓ガラスを割るタイプの不良というより、ちょっとオタク的で内向的な不良と言えます。//西海岸がつくり出すインターネットの文化は、既存の大企業や組織を否定する「反権力」的なところがあります。偉い人が書く本より、街中にいる若者のTwitterの投稿が影響力を持つ。国家の中央銀行が発行する「お金」より仮装通貨に期待する。普通の人が運転する車に乗って移動ができるUberシリコンバレーで生まれたサービスですが、創業者は「既存のタクシー業界を潰してもいい」という気概で、ビジネスをやっていたように私には思えました。「破壊願望」が強いのも、シリコンバレーの特徴です。pp.148-

手塚(マキ)さんやシリコンバレーの「会話の文化」は、
1、一度口にして決まったこともすぐ撤回できる
2、誤解があっても会話のキャッチボールを通して意識合わせができる
というメリットがあるように思います。ピンポイント人脈で結ばれる人間関係は「紙の文化」ではなくて、「会話の文化」を大事にしたいところです。それは、相手のミスや誤解に寛容になり、さらに物事はたえず状況が変化するものだということを意識する文化です。p.151

 起業したり、政治家になったりすることも社会の「改革」への第一歩ですが、世の中の誰もが「大きな変革」をできるわけではありません。ただ、小さくても人知れず「1.1倍」の改革をしている人は、結構いるのではないか、というのが私の個人的な実感です。昨日とは違う「1.1倍」を生きれば、今日は1.1になります。それを繰り返していくとあっという間に「2.0倍」を超えます。//そういう人と、少人数でも、あるいは一人でもいいから、仲良くなる。成長を見て、自分も刺激を受け、自分も変えていく。「1.1倍」の改革をしている人を見つけていくのも「ピンポイント人脈」のコツです。p.152

 新しいアイデアやプロジェクトは一人の個人から始めることが多い。だから、職種を決めてから人を雇うのではなく、一緒に働きたいと思った人とつながってから、仕事をつくっていくのが新規プロジェクトを成功させる秘訣だと思います。p.176

 仕事や情報共有までネットでできてしまう現代において、バーチャルな空間ではなくて直接人が集まることの価値は高まっています。音楽のライブやフェスが一種のブームなのもそのためでしょう。p.216

こうやってピンポイント人脈を築いてきた人と合わなくなったり、一緒にいられなくなったりすることはある p.242

 ピンポイント人脈を結んだ好きな人であっても、合わなくなることがある。そんなときは、覚悟をもって別れるという選択肢があることを、忘れないでください。そんな悲しい結末を前もって予測していくこともピンポイント人脈を深く知るコツであります。p.244

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