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約束された場所で、村上春樹、文春文庫

2018/08/15 、約束された場所で、村上春樹、文春文庫 あんまり解脱に向かっているようにも見えないですね、それじゃ。 ほんとにね。いい加減きれそうになりましたよ。やめようかと思った時期もありました。実際には、内側ってすごくどろどろしたものだったんです。どろどろの人間関係です。救済願望みたいなのがあったから、それでも一生懸命がんばってやっていましたが、もうぼろぼろですよ。 pp.188- ばりばりのエリートから、体育会系の人から、芸術的な才能を持った人まで。そうしたごちゃ混ぜの空間の中で、僕は自分と同じような人間的な弱みを他人の中にもしっかりと見てしまっているんです。 // そういった中で、やっぱり今まで深く憎んでいた差別とか、学歴とか、そのへんのことがどこかに吹っ飛んでいっちゃったんです。みんな同じじゃないかと。成績の良い奴や良い奴でやっぱり同じように悩んでいるんだと。なーんだ、そんなものかと思いました。それは僕にとってすごく貴重なたいけんだったですね。 pp.189- でも実際に教団に入ってみると、そこは一般の社会とほとんど同じなんです。たとえば「何々さんは嫌悪が強いよね」とか言ったりするんですけど、それって結局は悪口じゃないですか。ただ使っている用語が違うだけで。なあんだそんなのぜんぜん変わらないじゃないって私は思いました。 pp.217- 村上 取材していて感じたのは、ある年齢より高くなると、「絶対にオウムは許せん!」という人が多くなるということでした。そういう人たちはオウムのことを「あいつらは絶対的な悪だ」と捉えています。でも若い人たちになると、そうではない。二十代から三十代にかけては、「あの人たちの気持ちもわからないではない」という人がけっこう多かったです。もちろん行為そのものに対しては怒っているんですが、動機についてはある程度同情的だったです。 //   - 現代の社会において、いったい何が善で何が悪かという基準そのものがかなり揺らいでいるということは言えますよね。 p.275 河合 日本人というのは異質なものを排除する傾向がすごく強いですからね。もっと突っ込んでいえば、オウム真理教に対する世間の敵意が、被害者に向かうんです。被害者の方まで「変な人間」にされてしまう。オウムはけしからんという意識が、「

アンダーグラウンド、村上春樹、講談社文庫

2018/07/30、アンダーグラウンド、村上春樹、講談社文庫 7 月の刑執行の報に触れ、読む(* )。村上さんが何度も言っているように、オウムというのは日本の影であり、日本が直視すべきなのにできなかったものに他ならないと思う。オウムは日本(我々)が生んでのあり、四半世紀近く経った現在においても、こうした状況は変わっていないと痛感する。だから、オウムなるものは 2020 年代を目前にした現在も、私が知らないだけで、存在すると思わざるを得ないのだが、どうしたものとして醸成されているのだろう?つぎはどうした姿で出現するのだろう? * 村上さんの作品で読み残しているのは『少年カフカ』『約束された場所で』『東京するめクラブ 地球のはぐれかた』『若い読者のための短編小説案内』の 4 冊となる。 この事件の場合、何がなんだかわからないままに、ある日いきなり死の淵に引きずり込まれたわけです。そこに居合わせた方々にとって、それは底知れぬ恐怖の体験だったはずです。おまけにサリンの怖さというのは、これまでに一度も言語化されたことのない種類のものです。こんな事件はまったく未曾有のものですから。だから被害者の方も本当の意味では、そのときの恐怖感をまだきちんと言語化できていないのだと思います。結局うまく言語化できないから、そのかわりに身体化するしかないということになります。感じていることを言語に置き換える、あるいは意識化する回路ができていません。だから仕方なく無理に抑え込んでしまおうとする。でもいくら懸命に意識で抑え込んでも、身体の方は自然に反応してしまします。それが「身体化」ということです。 pp.126- 「ひとつひとつの証言の中で語られた事実のヴァリファイ(裏をとること)はしなかった」 p.756 とあるので「満州からウクライナのタシケントに送られまして」 p.673 とあるのは、「ウズベキスタンのタシケント」だとしても、そのままにしたのだろう(か)。