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そのうちなんとかなるだろう、内田樹、マガジンハウス

2019/08/18 、そのうちなんとかなるだろう、内田樹、マガジンハウス たとえ家族であっても、どれほど親しい間であっても、相手にどれほど非があっても「屈辱を与える」ことをしてはいけない。これは父母から学んだ最もたいせつな教訓だったと思います。 p.41  それまでもずっと武道を修業したい、師に就きたいと願っていたのは、自分のような「ろくでもない人間」がこのままこんな喧嘩腰の生き方を続けていたら、いつか取り返しのつかないほどひどい目に遭うに違いないという気がしていたからです。  自分が激しく傷つくか、誰かを激しく傷つけるか。そうなる前に、性根を叩き直さなければいけないという「焦り」があった。 p.88  しばらくするとクライアントが激怒して電話をかけてきました。 「この翻訳は何だ! 全然意味がわからんじゃないか!」  あわてて訳稿を回収して、社内で検分しました。たしかにクライアントが怒るのももっともで、何が書かれているのかぜんぜんわからない。 「あのさ、この何度も出てくる“くるくるまわる円盤”って何だろう?」  どうもそれがキーワードらしいのだけど、意味がわからない。原文を見ると floppy disk とある。 p.110  (就職の)きっかけを作ってくださっていたのは、山口俊章先生という都立大の先輩です。 p.122 (『フランス一九二〇年代 状況と文学   』(山口俊章、中公新書)。卒論執筆の際、読んで刺激を受けた本。内容は忘れたが、意外なところで出てきたなと)  あらゆる仕事には、「誰の分担でもないけど、誰かがしなければいけない仕事」というものがあります。誰の分担でもないのだから、やらずに済ますことはできます。でも、誰もそれを引き受けないと、いずれ取り返しのつかないことになる。そういう場合は、「これは本当は誰がやるべき仕事なんだ」ということについて厳密に議論をするよりは、誰かが「あ、オレがやっときます」と言って、さっさと済ませてしまえば、何も面倒なことは起こらない。  家事もそうです。どう公平に分担すべきかについて長く気鬱なネゴシエーションをする暇があったら、「あ、オレがやっておきます」で済ませたほうが話が早い。 p.154 このドロップアウトの最大の理由は、僕が「このままで

よかれと思ってやったのに、清田隆之、晶文社

2019/08/13 、よかれと思ってやったのに、清田隆之、晶文社 衝撃的な読書となった。本書は「ホモソーシャル」という文化規範をあぶりだすが、その指摘に合点がいくことが多く、学び、考えるきっかけになったし、私自身による私自身のアップデートを促す大きな力となったようにも思う。この「ホモソーシャル」なるものに迷惑しているのは、それに馴染めず、不快に感じているのは、女性だけでなく、その「身内」に入らない男性もそうだろう(見方を変えると、名誉男性の女性は「ホモソーシャル」の身内である)。「ホモソーシャル」の内と外は、男性・女性という場合もあるが、権力行為者・被権力者という場合もある。いずれにしろ、内側にいると自覚しにくいだろうし、外にいても、内の価値体系が「ホモソーシャル」だったと気づいていない人は、私を含め、多々いるように思う。そうした人の蒙を啓き、同時に攻撃的・威圧的・支配的な「ホモソーシャル」の内にいる人間に対抗するためのことば・ 武器が獲得できる本である。時間がない人は各 Part の末尾に毎回載っている著者による研究者へのインタヴューだけでも、 本当に目から鱗が落ちるような 体験になると思う。 不機嫌になると黙る男については(私もそうだ)、私の見解は作者と異なるものの、「感情の言語化」という作者が示す処方箋は、意識してみる。 cf. https://cakes.mu/posts/24756  少し大きな話になりますが、今の時代、我々男性は「ジェンダー観のアップデート」を強く求められているように感じます。 p.12 清田 ()『壊れる男たち』には、事情を聞きにきた相談員の金子先生に対し、「同じ男だからわかるでしょ?」と理解を求めてくる加害者男性や、社長のセクハラを知りながらも、ニヤニヤと見て見ぬふりをした社員たちの姿なども描かれています。このあたりはホモソーシャル( = 男性同士の連帯)の問題とも深く関係していますよね。 金子(雅臣) こういった男性たちと日々接していると、彼らは何を一体考えているのだろうか、なぜ自らの犯したセクハラを自覚できないのだろうか・・・・・・という疑問が頭から離れなくなってしまったんです。男たちは壊れ始めているのではないか――。こうした加害者たちの意識を“男性問題”として俎上