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「ひとりぼっち」こそが 最強の生存戦略である、名越康文、夜間飛行


2018/04/30、「ひとりぼっち」こそが 最強の生存戦略である、名越康文、夜間飛行

ウチダ(内田樹先生)山脈に連なる人というのは知っていたが、ネットラジオで聞いた作者の声や話し方(比較的高い声の、追い立てられたような雰囲気)になじめないという印象があり、どうして本書を手にしたか覚えていない。内容は、メルマガ連載ものだったせいだろうか、読みやすさ(サクサク感)が目に付き、鼻白む程だった。が、読み進めるうちに、教えられることが多く、我が身を振り返って虚心になるきっかけになった。感謝。


()子どもの才能を引き出す上で、親や教師がやるべきことがあります。それは、「社会に適応する方法を伝える」ということです。才能を引き出そうとあれこれ工夫するのではなく、一人の人間として、社会に適応する能力を育むこと。地味なようですが、これは人の才能を伸ばす、最良の支援のひとつです。//世の中には社会適応能力に欠けていたために、才能を十分に花開かせることができなかった「破滅型の天才」と呼ばれる人たちがたくさんいます。p.68


(才能は)それ自体が、その人の人生を輝かせ、幸せをもたらしてくれるものだと、私は考えています。()//「才能が開花する」というのは、それまでできなかったことができるようになり、見えなかったものが見えるようになる、ということです。それはとりもなおさず、「私はこういう人間である」という自己イメージを乗り越え、それまでと違った世界観を手にするということです。pp.72-


 多くの家族を見てきた経験から私が感じるのは、単に「家庭教育」や「しつけ」といった表面的なレベルだけでなく、無意識レベルで、家族は生活を共にする中で、互いに似ていく、ということです。//それは会社でも、友人関係でも同じです。お互いがお互いに似ることによって、群れ全体は次第に、均質化するのです。p,82


 怒り、暗い感情に囚われた時に「私は怒っています、私は怒っています、私は怒っています」と三回唱える。たったそれだけのことで、驚くほど速やかに、怒りから手を放すことができるのです。(作者がスリランカ上座部のスマナサーラ長老から教わった方法)p.134


()うっすらと鈍い怒りの感情に毒されたまま長い時間過ごしていると、小さな怒りに気づきにくくなるんです。//こういう人は、定期的に、明るく、さわやかな自分を思い出し、そういう自分を「基準」にしておく必要があります。cf. ヘルシーアダルトモード(スキーマ療法)


 心の変化が、言わばある種の「歴史」としてその人の身体に刻み込まれることがある()。p.147
 農業にたとえるなら、心は作物であり、身体はそれを育てる土壌です。p.149


()身体に刻み込まれ、堆積した感情の記憶によって生じたもの()p.149


 このように(ふきんを濡らして、しっかりと、固く絞る。それをきれいに四つにたたんで、テーブルを丁寧に、心を込めて拭く)身体とモノとの感応を利用して心を落ち着けることを、仏教では「行」と呼びます。p.162


 久石(譲)さんは「毎日、同じ練習曲を弾く」ということを、習慣にされているのだそうです。別にそれは特別難しい曲ではないのですが、毎日同じ曲を弾くことによって、久石さんはその日の自分の状態をチェックできるのだ、という趣旨のことを話しておられました。p.164


 瞑想することで、心が落ち着いてきたなら、それは素晴らしいことです。しかしそのことで他人を見下す傲慢な気持をもってしまうなら、差し引きでは「マイナス」といっていいでしょう。そのくらい、傲慢な心は、せっかくの修業の成果を台無しにしてしまうのです。瞑想をやっている自分は偉い、自分のほうが心がきれいで優れた人間だ、というような比較によって自分が優位に立とうとする思考は、典型的な「群れ」の思考です。そういう人は、一見、ソロタイムを過ごしているようでいながら、心の中では多くの他人の声に翻弄されていると考えて、間違いありません。pp,175-


 夜更かしした次の日がだるいのは、結局のところ、内臓を休ませることができていないからです。大瓶一本分のビールを肝臓が分解するには、約三時間かかると言われています。言い換えれば、寝る時刻の三時間以内に飲み食いをすることは、その時点で「内臓の睡眠時間」を削っていることになるわけです。p.205


 私たちの感じている空腹感には、怒りや不安をはじめとした、さまざまな感情が、まるで雪だるまのようにくっついて、巨大化してしまっています。それらの感情をひとつずつ腑分けして、空腹感から取り除いていく。//()純粋な空腹感を味わうことができるようになります。()心地よい感覚です。p.209


寝ている時は小人が活躍している、といった話 pp.213-


 他人と何かを分かち合い、次の瞬間にはそのこと自体を忘れる。p.237

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