2018/12/18、見知らぬものと出会う ファースト・コンタクトの相互行為論、木村大治、東京大学出版
宇宙人表象の変化と歩調を合わせて、人々のすぐ近くで跳梁跋扈していた「人間もどき」たちは徐々に姿を消していった。彼らはいわば宇宙へ追いやられたわけだが、そこには当然、「地理上の発見」の時代を経て、地球上に未知の地域が少なくなってきたという事情があるだろう。そして残ったのは、「宇宙、それは人類に残された最後の開拓地である」という状況であった。「人間もどき」たちは、未知として残された地球外へと住み家を移したのだと言える。p.23
ただし一度だけ「ひょっとしたらそうかもしれない」信号がキャッチされたことがある。1977年8月15日に、アメリカ、オハイオ州のビックイヤー電波望遠鏡で受信された電波信号は非常に強くかつ狭い周波数帯で発信されており、さらにその周波数はコッコーニとモリソンが予想した1420メガヘルツであった。信号の記録を目にした天文学者が驚いて記録用紙に « Wow ! »と書きつけたことから「Wow ! シグナル」と呼ばれることになった。p.45
cf.
https://ja.wikipedia.org/wiki/Wow!_%E3%82%B7%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%AB
https://wired.jp/2017/08/14/40-years-wow-signal/
SETIにおいて宇宙人に期待されているのは、()抽象的な「知性」ではなく、たとえば「素数の概念がわかる」「素因数分解ができる」「水素原子の出す21センチメートル電波の重要性がわか」といったことである。つまりそこで想定されているのは、「生真面目な工学者」としての宇宙人であり、それは実はSETIをやっている科学者自身の鏡像なのだと言える。p.47
化学実験における「クロマトグラフィー」()。簡単な実験なら、小中学校でやったことがある人も多いだろう。濾紙の一部に水性サインペンなどのインクを垂らし、片側を水のつけると、水の移動とともにインクの色が分かれてくるのである()。通常は分けることが難しいインクの成分が、水と一緒に移動する速度のわずかな違いを引き延ばすことによって、みごとに分離される。p.61
会話に代表される相互行為とは、局所的には「滑らか」であり、すなわち「いままで私たちがやってきたことを、(それが何であるにせよ)いまからもやる」ということの繰り返しなのだと言える。私は、そういった、根拠となるものがそれ自身しかないという意味での「自己生成性」こそが、相互行為の本質的な性質だと考えている。//しかし、() pp.67-
なぜ挨拶は形式的であり、空疎であるという印象を与えるのだろうか。それは、出会いの瞬間に、自分と相手双方にかかわる行為の規則性を素早く確実に作り上げなければならない、という要請がから生じると考えられる。その場合、もしもなされる行動が「真剣な攻撃」とか「夢中な摂食」といった「本気の」行動であったならば、それを相手の行動と素早く組み合わせることは難しいだろう。したがって、そこでなさなければならないのは「本気でない」つまり空疎な行動であり、それを相手に顕示するために大げさに示すことが必要となってくる。これがまさに、挨拶の持つ儀礼性なのである。pp.87-
将棋、囲碁、チェスなどは原理的には完全に先が読めるゲーム(注23 「二人零和有限確定完全情報ゲーム」と呼ばれる。)であり、双方が最善を尽くせば、先手必勝、先手必敗、あるいは先日手のいずれかになることが知られている。つまり、すべてを見通せる神様同士が将棋をすると、振り駒の時点で勝敗は決する。しかしこれらのゲームの場合、さまざまな手筋の全体(探索空間)は広すぎて、そのすべてを計算することは現実には不可能である。p.112
それにしても、なぜわれわれは、規則性を持つものを「面白い」と感じるのだろうか。「面白い」というのはある種の快の感覚と言えるだろう。進化心理学的に言えば、「生物(とくに人類)は、規則性を持つものを快とし、選好する方向に進化したが、それはその方向にある種の適応価があったからだ」という説明になるだろう。しかし、そのような機能主義的な説明はもうひとつ、それこそ面白くない。本書としてはむしろ、人間というシステムが外界の規則性に感応してより大きな規則性を作ろうとしている、といったベイトソン的なイメージの方が好ましく思える。p.131
言語とは、記号表現を道具的に用いて相互行為に規則性を作り上げていくプロセスのことなのである。通常は、その記号表現の体系のことが言語と呼ばれているわけだが、それは言語の本体ではなく、その「リソース」と呼ぶべきものだと言える。p.154
「道具として使われうるもの」は、相互行為研究ではしばしば「リソース」と呼ばれる。リソースとはつまり資源とか資材のことなのだが、()そのもともとのありようを離脱して、他のものとの組み合わせによって新しい意味=規則性を獲得するもの、というニュアンスを持つ。p.142
森政弘(1970)は、人間に似ているものとまったく似ていないものとの中間に「不気味だ」と感じられる「谷」があることを指摘している() p.161
そこ(今西錦司の『生物の世界』(1974/原著 1941))ではまず、生物界は基本的に、よく似たものたちが共存する場所だ、ということが主張される。p.168
()このような設定のもとに、長・短編合わせて数十の物語が描かれているのだが、この世界観は抜群に魅力的である、その後のSF作品にも大きな影響を与えている。注10 ただ、セイバーヘーゲンはこのアイデアのみの一発屋であり、個々の物語には深みがない、という評価もある。p.203
自分とよく似た身体を持つ他者がまわりにたくさんいれば、その間にさまざまな相互作用が起こらざるを得ないだろうからである。一方、理解不能な知性は、ソラリスにせよ、『幼年期の終わり』(クラーク
1964)のオーバーマインドにせよ、使途にせよ、あい似た他者を持たない、ただ一個の個体として描かれているのである。注17 『ウルトラマン』(1966-1967)などに出てくる怪獣が、多くの場合「ただ一匹」で登場するのも同じ意味があるかもしれない。pp.214-
人類は未知のものを知ろうとする傾向が強い動物であることが知られている。現生人類は数十万年前にアフリカに起源したわけだが、五万年前頃にアフリカを出た後、地峡を横切り海を渡って、アジア、オセアニア、南北アメリカ、地球上のすべての地域に拡散してきている。このような広い分布を持つ動物は他になく、そこには未知の土地に行ってみようという強い志向性があったと考えざるを得ない。p.239
本書を書き進めてくるうちに、「信頼」という言葉が登場し、それは「愛」とも近いことに気付いて、多少の驚きを感じている。しかしそれは、「規則性」にかかわる長い旅を経由して還ってきたわれわれにとっては、納得のいく事態だろうと思う。p.240
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