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家族が片づけられない、井上能理子(小池みき)、イースト・プレス


2019/01/26、家族が片づけられない、井上能理子(小池みき)、イースト・プレス

数カ月前、筆者小池みき(井上能理子)の記事を初めて読み、その内省、自己開示の様に驚き、以来、氏のネットラジオや記事を、それと気付いたときはなるべく聞いたり読んだりしている。

そうした中、本書の一部がネット公開されていたのに加え、図書館にもあったので借りて読んでみた。思いもよらぬ展開というか、重い内容で、合点行くところもあれば、読み込めないところもあった(なのでもう一度読む必要がある)が、やはり氏の自己開示的な姿勢・内省がはっきり出ていて、読み手があったと満足している。

そうした氏の姿勢が(、舞台や映画になるような(悲劇であっても)華々しい英雄伝や神話でなく、日常に出現し得る、それだけに人が正面から取り上げるのを躊躇うような(見据えにくいと言った方が適切か)事態(*)を題材にしつつ)、漫画という親しみやすい媒体で表現されているのは、価値あることだと指摘しておきたい。
  
加えて、日本人(もしくは人間)の陰険な様・卑しい姿をはっきり描いたところは『はだしのゲン』に並ぶ程だ、というと大袈裟だが、その衣鉢を継げるかもと思わせた(氏は今世紀後半、今の寂聴のような存在になっているのだろうか、それとも美輪明宏か。まだこれは分からないし、どうもそれは違うかな)。

先に述べたように本作でも、氏の内省・自己開示できる力に衝撃を受けたのだと思っていたが、勿論これはそうであるものの、その有様を世間にさらした結果、当然予想される「悪しき反応」を知っていてもなお自己開示・内省できるところにこそ、私は恐れとともに敬意を感じているのだと思う。

なすべきことをなした人、悪や狡さに逃げ込まず、恥じるところのない人が、にもかかわらず不幸や誤解に陥ったとしても、淡々と、飄々と、堂々としていられる境地に、氏もいるようだ。

私には到底辿り着けていない境位に氏が若くして立っていることに、一撃を喰らって震撼しているのだと、今ようやく飲み込めた。

若い人だけにまだまだどうにでも展開するだろうし、次の角を曲がると、くだらない人間になってしまっているかもしれないが、しばらくは様子を見続けたい(一緒に踊りはしないが)。早く様々な媒体に書き散らしている文章を一冊にまとめてほしい。気の利いた編集者ならもう手を付けているかもしれない(それだけに、蛇足ながら、今は有料記事なんぞ止めて、すべて無料アクセスできる媒体(文字であれ音声であれ、紙であれ電子であれ)で氏の表現に触れられるようにすべきだと思う。ウチダ(内田樹)先生の初期(?)がそうであったように。そのリターンは大きいだろうからだ)。

*日本は実は高度成長期以来、全般に「家庭」「家族」が成立できなくなっていて、21世紀を越えて、このことが、一部としてではなく、広範囲にわたってはっきりと現れてきているという事態。(文化を上部構造とし、)文明をインフラ(道路や上下水道、教育制度、年金そして家族など)とするとき、日本は実は文明として成り立たなくなっている・絶滅する道を進んでいる(のではないか)という事態。

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