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カウンセリングテクニック入門、岩壁茂編著、金剛出版


2019/02/09、カウンセリングテクニック入門、岩壁茂編著、金剛出版

返却期日までには「聴く=傾聴」(諸富祥彦)までしか読めなかった。当初からこの章を読めればよかったのだが、今となっては私の場合、もっとオーソドックスな入門書で基礎を一通りり学習しておく必要があると知ったし、そうしたい意欲が芽生えた。



平木(典子) - カウンセリングが全人的な支援実践だと語ったエドモンド・グリフィス・ウィリアムソンは同時に、人は誰でもいつになっても未発達な部分があるもので、その未発達な部分を助け合う相互扶助が必要だと述べていました。p.15

平木 - カウンセリングでは、うつを障害としてのみ考えるのではなく、個人が生きる文脈のなかでどのようにうつを発症したのかを考え、うつを抱えながら生活をしていくためのストレングス(強み)も考えていく。そして、社会的・生活的文脈のなかで発達段階で蓄積されてきた困難が乗り越えられなかった結果、うつとなって発現したという視点は、カウンセリング特有のものです。p.16

平木- 私はアサーショントレーニングをしていて痛感するのですが、言葉にするということは発話者だけの責任ではなく、相手がいるからこそ言葉や意味が形成されていくところがあります。人と人が出会って、言葉を交わして、自分が語った言葉に相手が言葉を返して、そして相互理解が進むときに意味は形成されていく。カウンセリングってそういう世界ですよね。p.18

平木 - カウンセリングでは来談者との関係が成立しなければ何も始まりませんから、関係が成立するようなカウンセラーの存在感も求められます。人によって相性もあるけれど、関係を保ちやすい人が目の前に存在していることが大切で、この特性は単なる素質ではなく、心を尽くして関係構築に血道を上げることによって身につくものじゃないかな。p.19

平木 自分が面接を振り返る作業は、耐えられなかったり恥ずかしかったりもしますが、自己客観視の一歩前までくらいまで達していくわけですから、スーパーヴィジョンに臨む前に逐語録を起こしておけば、スーパーヴィジョンもより精度が高まります。面接をして自分自身を客観的に見ると同時に、面接した相手のことを再び整理するという側面もあって、面接をしている最中には理解できなかったことの復習にもなりますし、スーパーヴィジョンの事前準備にもなる。私が訓練する場合、修士課程1年の実習を始める頃から逐語録を起こしてもらうのですが、それは後々大きな財産になるのではないかと期待しています。p.27

 Wampold(2012a)は、カウンセラーの効果の中心は、体験を理解し、それに意味を与えること、他者に影響を与え、また他者から影響を受けること、他者とつながりを作るといったヒューマニズム・人間性(Humanism)にあると論じている。p.40

現在の対人関係の原型となっている養育者との関係パターンに気づくこと – p.44

ではなぜ、「受容」においては、相手をほめないのか。なぜ、ほめてはいけないのか。クライアントが、セラピストに「ほめられそうなこと」しか言えなくなるからである。//「そうですねー」と、クライアントに賛同し同感すれば、クライアントは、セラピストの賛同や同感を得られなさそうなことを話せなくなる。これでは、日常会話をおなじになってしまう。p.61

 クライアントがカウンセリングや心理療法を受ける意味は、ひとつには、日常生活ではとても話せない自分の内奥の気持ちを言葉にして聞いてもらえることにある。p.61

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