2020/09/03、一人称単数、村上春樹、文藝春秋 「ぼくらの人生にはときとしてそういうことが持ち上がる。説明もつかないし筋も通らない、しかし心だけは深くかき乱されるような出来事が。そんなときは何も思わず何も考えず、ただ目を閉じてやり過ごしていくしかないんじゃないかな。大きな波の下をくぐり抜けるときのように」(『クリーム』)p.46 (チャーリー・パーカーの演奏音楽は)「音の流れというよりはむしろ瞬間的で全体的な照射に近いものであった」(『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』)p.65。これを目にして思い出すのは、『ジャズ・オブ・パラダイス』(後藤雅洋)で述べている「意識の時間が演奏の時間と一致」「瞬間的な意識と肉体の合一」という評。私もパーカーの演奏は随分昔から聞いているが、といってもそれほど熱心ではないためだろうか、こうしたエピファニー的な?体験に襲われたことは、思い出す限りでは、ない(あったのかなぁ、私にも・・・)。 『ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles』は、『風の歌を聴け』を、今の村上さんが書いたらこうなるという、そういった作品のような気が少しだけする。 「パナソニックのトランジスタ・ラジオ」p.79 トランジスタ・ラジオには「パナソニック」名が、1966年?には使われていたと判明。 「高校生の頃なんてただでさえ、自分のことがろくにわかってないようなものやないか。地下の土管の中で生きてるみたいなもんや」(『ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles』)p.108 「「しかしそれにしても、たまたま仕事の用事があって、こうして東京に出てきているやけど、こんな大きな都会でばったり君とすれ違うなんて、ほんとに不思議な気がするよ。何かの引きあわせだとしか、ぼくには思えない」 たしかに、と僕は言った」(『ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles』)。p.119 「サヨコが引きあわせた」といったようなことを口にしないのが至極まっとうだと強く感じる。 そこには何かを - 僕らが生きていくという行為に含まれた意味らしきものを - 示唆するものがあった。でもそれは結局のところ偶然によってたまたま実現されたただの示唆に過ぎない。それを越えて我々二人を有機的に結び合わせるような要素は、そこにはなかった。(『ウィズ・ザ・
2019/09/26 、フロイトのイタリア、岡田温司、平凡社 p.30-1, 39-2, 93-2, 99-1, 112-2,139-2, 140-1, 160-2, 165-2, 172-2, 175-3, 181-3, 182-1/2, 237-2, 239-2, 248-2, 259, 260-3, 268-2, 280-2, 285-3 ブダペストにいるフェレンツィのもとに、《モーセ》の全身が画面いっぱいに写っている絵葉書(図 60 )が送られてきている。そこにはただ、彫刻の足元に、 1913 年 9 月 13 日の日付と「拝復、ミュンヘンでの会議については君とまったく同意」( 6 :506 )とだけ書かれているのである。「ミュンヘンでの会議」というのは、その年の 9 月 5 日から 9 日まで開催された国際分析学協会のミュンヘン大会のことで、このとき、スイスの優秀な弟子ユンクとの決裂が決定的になったといういわくつきのものである。この会議を終えるやすぐにフロイトは、ウィーンに引き返すこともなく、ミュンヘンから直接ローマに向ったのだった。とすれば、もうひとりの優秀な弟子に送られたこの《モーセ》の絵葉書は、ひじょうに象徴的な意味をもっていたことになるだろう。 p.225 アーネスト・ジョーンズらをはじめとする多くの研究者によれば、アロンに先導されたユダヤの民に怒るモーセとは、ユンクやアドラーらのアーリア人系精神分析の背反に怒りを隠せないフロイト本人のことであり、その怒りを抑える理想的なモーセとは、いわばフロイトの超自我にほかならない、と読み換えることもできるのである。この分裂が表面化した 1913 年 9 月のミュンヘンでの国際分析協会の大会の後、直ちにローマ入りしたフロイトが、忠実な弟子フェレンツィに、ミケランジェロの《モーセ》の絵葉書を送ったことを、ここであらためて思い出しておいていいだろう。つまり、フロイト本人が半ば公然と、自分をモーセになぞらえていたのである。 pp.249-